凡所有相,皆是虛妄。若見諸相非相,即見如來。

2009-05-12

悼念5·12

今天是中国四川汶川大地震发生一周年之日,为了向近9万遇难者及失踪者表示无限哀思,日本大使馆全体职员14点28分在使馆内默哀1分钟。
日本大使馆降半旗致哀,宫本雄二大使在大使馆网站上登载了致中国国民信。


宫本大使在汶川大地震一周年之际致中国国民


值此汶川大地震一周年之日,我谨再次对因此次地震而遇难的死者表示沉痛的哀悼,并对广大受灾者致以诚挚的慰问。

时间飞逝,转眼间一年已经过去。那场地震夺去了众多宝贵生命,还使曾经为家人一起生活遮风避雨的许多房屋遭到损毁。道路断裂、桥梁受损、政府的办公地点也遭受破坏。在此情况下,中国政府和国民众志成城开展抗震救灾和灾后重建工作。对于所有各位的竭心尽力,以及所取得的巨大成功,我表示由衷的敬意。

当前,日本和中国正在共同努力,旨在构筑新时代下的崭新日中关系,并充实其内涵,推动两国关系达到新的高度,即实现“战略互惠关系”。在汶川大地震发生之后一年间,日中交流为增进支撑这一重大关系的两国国民层面的相互理解和相互信赖做出了巨大贡献。让我们一起来回顾这一年所走过的历程。

日本是地震多发国家,世界地震的20%发生在日本周边。迄今,日本经历了多次大地震,饱尝克服其苦难之艰辛。因此,众多日本国民通过电视等媒介了解到贵国汶川地震造成的严重灾害后,作为人类朋友,以及亚洲的重要邻居,感同身受,纷纷希望为此提供力所能及的帮助。这种心情的产生是非常自然的,在市民、企业、地方政府、以及政府等各个层面,掀起了为贵国抗震救灾伸出援手的热潮。

地震发生后,日本政府立即派遣国际紧急救援队、医疗队赶赴灾区进行援助,并且提供了灾区迫切需要的帐篷、毛毯、发电机、污水净化槽、血液透析机及医疗用品等应急物资。当获悉灾区急需大量帐篷后,日本各地方政府也都将备用帐篷贡献了出来。由于还有很多被埋在倒塌房屋下的伤者,因此日方决定提供能够避免截肢的血液透析机,于是日本的生产厂家和运输企业争分夺秒、夜以继日地工作,终于将透析机运抵灾区。此外,日本的男女老少,纷纷参加街头募捐活动等,通过日本红十字等团体筹集了大批援助资金和物资。

进入恢复家园阶段后,日本尤其希望能够将自身一直以来积累的抗震知识与中方共享,为中国的灾后重建发挥作用。为此,以日本的技术经验、核心技术等软件领域为核心,拟定了5大领域(建设、健康、福利、社会与文化、产业与雇用、防灾)50个项目的合作内容清单。2008年7月,日本政府代表团赴华,根据这份清单,就具体合作内容与中国政府有关人士交换意见。在了解中方需求的基础上,在当月北海道洞爷湖峰会期间的日中首脑会谈中,福田首相(当时)与胡锦涛国家主席共同确认了合作内容。灾害发生1年后的今天,50个项目已基本得到落实,很多日本人至今依然在一线和中方人士携手并肩,致力于灾后重建工作。

在这些与灾后重建和防灾有关的项目当中,很多是涉及到官方民间各个方面的项目。例如,在政府之间开展的合作有,在中国重建计划期间向中国介绍日本的政策,通过利民工程无偿资金援助,在3个受灾省份实施学校、自来水以及医疗设施建设等方面的15个项目,捐赠急救车,作为骨干干部交流前后3次(2008年7 月、2008年12月、2009年1月)总共邀请大约200名灾区代表访问日本,考察日本灾后重建的做法。据了解,上述工作,在今天的灾后重建中发挥了重要作用,令人感到由衷的欣慰。另外,在专家之间,还开展了关于抗震建筑、林业恢复、灾区儿童心理保健等方面的交流和研讨会,目的是实现经验和知识共享。同时,日本企业、地方政府、普通国民也都运用各自的智慧,与中国朋友们一道展开了广泛的灾后合作。我深切祈愿,这些努力能够亟早地有助于灾区重建,以及为使未来的地震灾害控制在最小范围而发挥作用。

在这1年当中,日中友好得到进一步扩大。很多日本人,基于自身的经历,均对灾区人民处于多么悲痛和困苦、重建过程中又是多么漫长和艰辛,表示深刻理解及同情。有一点,希望各位一定不要忘记,那就是,你们不仅在中国有朋友,而且在世界也都有你们的朋友,特别是作为一衣带水的邻居,尤其是作为共同拥有悠久历史和诸多文化的朋友,我们日本国民将和中国的朋友们一心一意,携手并进,一直到灾区复兴的那一天!

四川大地震1周年に際する宮本大使から中国国民へのメッセージ

四川大地震が発生して一年を迎えました。まず、この地震により被災された方々に改めて哀悼の意と心からのお見舞いを申し上げます。

あっと言う間の一年でした。多くの尊い命が失われ、家族が共に暮らす多くの家屋が損なわれました。道路も寸断され、橋も壊れ、政府の建物も破壊されました。そのような中で中国政府と国民は、地震発生後の被災者の救助・救援、そして被災地の復旧・復興に懸命に取り組んできました。全ての方々の誠心誠意のご尽力、そして達成された大きな成功に対し衷心より敬意を表したいと思います。

日本と中国は新しい時代の新しい日中関係を作り上げ、その中味を充実させ、日中関係を新たな一段高いレベルに引き上げる努力を重ねています。この新しい関係を「戦略的互恵関係」と言います。四川大地震から一年間の日中交流は、このような大きな関係を支える国民レベルでの相互理解と相互信頼の増進に大きく貢献しました。この一年間を振り返って見ましょう。

日本は地震多発国であり、世界の地震の約2割が日本周辺で発生しています。日本では、これまでに何度も大地震が発生し、その苦しみを乗り越えることの辛さを十分経験してきました。それ故、日本の多くの国民が、テレビ等を通じて貴国で発生した四川地震の被害の大きさを知り、同じ人間として、また同じアジアの大切な隣人として、自分のこととして受け止め、出来る限りの支援を差し伸べたいと思いました。こうした気持ちは自然に湧き出てきたものです。震災発生後の支援・協力は、市民レベル、企業レベル、地方自治体レベル、政府レベルと様々な層で進められました。

地震発生直後、日本政府は、国際緊急援助隊の救援チーム、医療チームを被災地に派遣する等人的支援を行いました。また、被災直後に緊急に必要となったテントや毛布、発電機、浄化水槽、血液透析機、医療品等の緊急物資を送りました。緊急に大量のテントが必要になったことを知り、日本の各地方自治体も備蓄用のテントを提供してくれました。また、倒壊した家屋の下敷きになったけが人が多かったことから、手足切断を免れるように血液透析機を送ることになりましたが、一刻を争う中で、日本の生産メーカーや輸送会社が休日も朝から夜まで精力的に対応してくれて、無事透析機を輸送することができました。また多くの日本国民が、老若男女問わず、それぞれ街頭で行われている募金活動等に参加し、日本赤十字等の団体を通じて資金・物資支援に参加しました。

復興の段階に入ってからは、特に、これまで日本が積み上げてきた地震に関する知識を中国と共有し、中国の復興に役立ててもらいたいと考え、日本の技術や経験、ノウハウ等ソフト面を中心とした5分野(まちづくり、健康・福祉、社会・文化、産業・雇用、防災)からなる50項目の協力内容リストを作成しました。08年7月に日本政府ミッションを派遣して、このリストをもとに具体的な協力内容につき中国政府関係者と意見交換を行い、中国側のニーズを踏まえた上で、同月の北海道洞爺湖サミットにおける日中首脳会談において、胡錦濤国家主席と福田総理(当時)との間で協力内容が確認されました。被災から1年たった今日、50項目のほとんどが既に実施され、また現在もなお多くの日本人が現場で中国の方々と手を携えて共に汗を流しながら復興に取り組んでいます。

こうした災害復興・予防に関するプロジェクトには、官民多岐にわたる幅広い内容が含まれています。例えば、政府間では、中国の復興計画に際する日本の政策紹介、被災地3省に対する草の根無償資金協力による学校・上水道・医療施設整備15案件や救急車の寄贈、また、中堅幹部交流として被災地代表が3回(08年7月、12月、09年1月)にわたり計約200名が訪日し、日本の復興の取組を視察しました。こうした知見が、現在、被災地での復興活動に大いに活用されていると伺い、大変嬉しく思います。また、専門家の間では、耐震建築、林業復興、被災児童の心のケア等の交流やシンポジウム等が実施され、知見の共有が図られています。その他、日本企業、地方自治体、一般国民がそれぞれ自分の知恵を活かし、中国の皆さんと幅広い被災協力を行っています。この様な取組が一刻も早く被災地の復興に繋がることを強く願っていますし、また今後震災が発生した時に被害を極力小さく留める為の対策に繋がって欲しいと思います。

この1年間、日中の友情の輪はさらに拡がりました。多くの日本人が、被災地の皆さんが深い悲しみと辛く厳しい毎日を送られてきたとか、復興の過程がどれほど険しく長い道のりであるかということを、日本での自分達の経験から深く理解し、心からの支援を行いたいと思いました。一つだけ決して忘れないで下さい。それは、皆さんには中国の仲間がいて、世界の友人がいることです。とりわけ一衣帯水の隣人として、また長い交流の歴史と多くの文化を共有している友人として、我々日本国民は、中国の友人たちと心を一つにし、被災地の復興が終わる最後の日まで、皆さんと手を携えて共に歩んでいくつもりです。

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